ぴよ将ログ #5-1 「勉強法」・自戦譜振返り編

随分久々、半年ぶりの「ぴよ将ログ」更新となった。

実際、しばらく対局自体から離れていたからだ。

(うち2か月ほどは、「観る将」からも離れ、将棋にほぼ触れない時期も続いていた)

単純に、指し疲れ・満腹感を覚えたのでしばらく離れていたのだ。

 

恐らく今後も、このような付き合い方が続いていくだろう。

「短期間集中研究・対局→短期間ブランク(インターバル)→観る将(聞く将)再開→研究・対局再開」

のようなサイクルだ。

将棋に限らず、典型的「多動型」性格のため、「一つの趣味だけをずっと継続」することができない。

飽きたらしばらく距離を置き、リフレッシュ期間を置いたのちに再開、というほうが性に合っている。

 

ぴよ将も対局をぼちぼち再開したが、本腰を入れてというほどまで注力されていない。

「自戦譜振返り」に集中しているからだ。

それも含めて、今回は、「将棋の勉強法」について少し書いてみたい。

 

色々なところで言われていて極めて興味深いのは、「将棋の門外漢が驚くのは、『将棋の強くなる方法』には未だに確定した方法論がないことだ」という話だ。

ひたすら対局を重ねることか、棋譜並べか、詰め将棋か、はたまた今はAIをいかに活用するのか。強くなりたい者は、結局自分個人に合った方法を見つけて強くなっていくしかない。

 

最近再開したのは、主に「自戦譜振り返り」だ。

年初のぴよ将対局の棋譜が数十局は残っており、詳しい分析を行うことにしたのだ。

 

年初当時も、ざっと見返すことはあったが、体系的に深く踏み込むには至らなかった。

(対局の記憶が真新しいと、負けの記憶が蘇ってきて冷静に振り返れないこともある)

ただ振り返るだけでなく、同時に、kindle振り飛車関連の棋書を漁り、「戦法・戦型の比較」に着手したのだ。

 

時間が経って振り返ると、とても多くのことに気づける

・同じ振り飛車でも、戦法は一様でなく、色々な工夫を凝らしていたこと。

 

・CPのクセ。CPLVが上がっても、なくなる訳ではない。

・一方で、CPLVが上がった時の強さ。

 飛角銀桂の連携が取れている。

 LVが低いとその連携が弱かったり、手が遅かったりする。

 また逆に、自戦譜の負けた対局を振り返ると、そうした連携がなってないことも多い。

 

・CP高LV相手に、闇雲に指してしまっている。

 振り返る限り、最近も対局再開したLV23(二段)対手は、流れを見る限り、力にさほど差はない印象だが、あまり勝てていない。

 

・序盤で作戦負けしてしまっているのが現状。

 感覚だけで指してきたため、(「定跡」も感覚で覚えている程度で体系化されておらず)、個々の戦法・戦型に「思想がない」。

 戦法・戦型に関する基本的な考え方がなく、「こう指すと、このような局面になる(し、したい)」という主張のないまま指してしまっている

 

・自己の戦型の悪さ。駒の連携の悪さ、守り駒がバラバラにされやすい、攻め駒が変な位置から動かない・動けない死に駒になりやすいetc.

 工夫はしないといけないが、上の条件踏まえ、「序盤をどのような展開にしたいのか?」という主張を明確にする必要がある

 

・戦法・戦型別の勝率や指しやすさ。

 同じ振り飛車でも、囲いが穴熊では勝ちがあるが、美濃だとまだ少ない。

 その比較と、要因追求は現テーマの一つ。

 そして、各勝率をどう高めていくか。

 

・「定跡の勉強や暗記」は嫌いだし苦手。

 一方で、自身の中にテーマを明確化(例えば「◯◯の局面での駒の捌き方」「△△の戦法にした時の戦法・展開の比較」etc.)出来ると、棋書の勉強も楽しくスッと入ってくる。

 また、自戦譜の展開の整理なども楽しく、そうして「実践的に定跡を積み重ねる」のが向いている。

 

・「人から教わる」のでなく、上記のように、「自分で振り返り、整理し、テーマを見つけた上で、再挑戦する」スタイルが自らに合っている。

 「自分で気づいて前に進む」ことを好むし、それが最も伸びるタイプと言える。

 

・AIの活用法。「テーマとなる局面」をストックし、AIどうしに対戦させるというのはもう少ししたら試したいと考えている(現状は棋力が低く、基礎が十分とは言えないので、試してもさほど意味がないと捉えている)

 

・当ぴよ将ログ=「書く将棋」の重要性。

 細かく局面や戦型を検討したりはしていないが、自分の戦い方とか、その時々で持っていたテーマ感を振り返る上で、とても重要な役割を果たしている。

 「文章で整理したうえで次に行く」というのも、自分の中の勉強スタイルの一つ。

 文章に起こすことで、思考を省略できる部分が大きい。

 

将棋の勉強は時間がかかるのだが、とても楽しい。

「自分に合った勉強法を模索し、見つけていく」楽しみというものを、子ども時代には見つけられなかったし、またその環境も当時は十分にはなかった。

子ども時代に、現在のようなAI環境があれば、もう少し自分自身も強くなっていた可能性は高い。

今は、入口や方法論がとても豊富な、幸せな時代環境となった(一方でAI環境構築に金銭的な投資をすべきか・奨められるのか?という切実な問題も既に将棋普及者間で生じている)。

 

☆今回の勉強法の中で、「観る将」についてはほぼ触れなかった。後半「#5-2 」で整理したい。

4.8.1