ぴよ将ログ番外編 :「勝つ」ことと「強くなる」こと

前稿で、「『勝ち』を溜めたい」という表現をした。

これと、「強い」「強くなる」ことの違いが、少しわかった瞬間があったことが、その理由と関係している。

 

(「自分で指す」趣味としての)将棋を再開してまだ1か月余だが、間違いなく開始当初より「強」くはなっている。

開始当初は、殆ど勝てなかったLv.のCPに勝てるようになっているからだ。

 

ただ、「強くなる」ことと、「『勝ち』を溜める」ことにはやはりズレがある。

相手が弱ければ、「『勝ち』を溜める」ことは簡単になる一方で、「自分が強くなる」とは限らないからだ。

また、「勝負」「勝敗」(という「結果」)に拘ると、「内容」「過程」が疎かになる部分が間違いなくある。

それと「強くなる」ことと、「巧くなる」というのもまた違う。

これらについて、少し詳しく述べた上で、「自己初段」以降の展望について考えていこうと思う

 

「自分が強い(強くなる)」ことと、「相手が弱い」こととは違う。

「自分が強くなる」と、「相手の弱さ」が分かるようになっていく。

CPLV.1級は、前は勝てなかったが、今は結構勝てるようになった。

 

たぶんソフトに組まれたアルゴリズムにより違いが出るのだろうが、ソフトのクセ(による弱さと強さ)が、だんだんと分かってくるのだ。

「持ち駒の使い方」は、(ぴよ将に関しては)その特色であるといえる。

「攻め将棋」が特色で、こちらが間違った場合に対しては強いが、正しく受けると「無理攻め」になるような手筋を好んでくる。

あと、(恐らくもともとインプットされてるであろう)定跡的手筋には強く、こちらが少しでも間違うとそこを突いてくるが、定跡的手筋から外れたような手には(こちらから見ると)変な手や緩手を指してくるのでチャンスが出る。

CPのLvが上昇するにつれ、上の弱点が薄れていくイメージだ

勝てるようになる・相手の弱点が見えるようになるのは、うれしい一方で、物足りなさを感じるようにもなる。

「強い対手」と闘うと、「強くなる」のは間違いない一方で、「自分の弱さ」を思い知らされる怖さもある。(今CP二段・三段との対戦を避けているのはその怯え故だ)

 

次に、「勝敗・勝負という結果」と、「内容・過程の良さ」には距離がある。

分かりやすいところで言うと、「踏み込み」「挑戦」の有無ということだ。

(「強い対手との対戦を避ける」もそうだが)難しい局面で、敢えて挑戦せず、無難な(「敗けない」)手に「逃げる」ようになる。

 

よくあるのは、「CP対手に駒を殆ど取らせず圧倒して勝つ」ことを目指し、「早い段階での攻め将棋や寄せ」は避けるということだ。

これが今の(「受け将棋」としての)「戦い方・勝ち方」ということももちろん言えるが、対手をただ弄んでいはしないか、また、「どうせ勝ちは見えてるから」と終盤の読みが疎かになってはいないかという懸念もあるのだ。

 

そして、「巧くなる」ことと、「強くなる」こととの違いである。

今は棋書などでしっかり勉強した訳ではないが、CP対策をするうちに、定跡が自然と覚わっている面はある。

また、今は同じ戦法を繰り返してやっているので、その戦法に関しては間違いなく「巧」くはなっているだろう。

ただ、不慣れな戦法は、試しにやってみてもほぼ勝てない。

また、今は時間無制限でやっているから早指しなどは殆ど出来ないだろう。

「巧さ」は、「強さ」の一部を構成する要素に過ぎない。

 

自己初段になってからは、単に「『勝ち』を溜める」から、「強さ」を身につける方向にシフトしようと思う。

4.1.12